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ヒューマニズム

原爆をある人間たちの都市に投下する、という決心を他の都市の人間たちがおこなう、ということは、まさに異常だ。科学者たちに爆発後の地獄への想像力が欠けていたはずはあるまい。それでいて、かつ、その決定がなしとげられてしまったのは、この絶望的に破壊的な爆弾が炸裂しても、その巨大な悪の総量にバランスをとるだけの人間的な善の努力が、地上でおこなわれ、この武器の威力のもたらすものが、人間的なものを一切うけつけない悪魔的な限界の向こうから、人間がなおそこに希望を見出しうる限界のこちらがわまで緩和されるであろう、という予定調和信仰風な打算が可能だったからであろう。これもまた《人間的な力への信頼》にはちがいない。ヒューマニズムの強靱さへの依頼心の発動。これから自分が手ひどい打撃をあたえる敵の《人間的な力への信頼》、襲いかかろうとする犠牲羊のもっている、自分で自分の後始末をする能力への、狼の信頼。これは僕がヒューマニズムをめぐっていだく、もっともみにくい悪夢だ。


大江健三郎『ヒロシマ・ノート』岩波新書, 1965, p. 113.

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