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ヴェネツィア国際映画祭で審査員賞を受賞した、濱口竜介さんの最新作。


架空の小さな集落で暮らす寡黙な男と、その幼い娘。美しい森と澄んだ雪解け水にささえられて静かな暮らしを守っていたが、ある日、そこにキャンプ場建設の計画が持ちこまれ、ざわめきだす集落。それは地域に東京からの観光客をもたらすかもしれないが、設置される浄化槽はおそらく水を汚染するだろう。それにこれはコロナ助成金目当ての、穴の多い計画であるらしい。


集落の人々はあくまで理路整然とおだやかな反論を述べる。説明に立った事務所の男女も人々の冷静さを前に、自分たちの浅はかな生き方を省みるようになるが、立案した親会社はあくまで計画を推しすすめようとする。板挟みになった事務所の男女は、あの寡黙な男を頼ろうと再び集落を訪れる。そして娘の様子がしだいに変わり始める。



村上春樹的な不気味なツイストをはらんだ、これは明らかな「短編小説の息の長さ」で作られた中編。


画角や色調の何が特別に優れているというわけではないのに、なぜかショットが緊迫感を帯びる濱口じるしは健在。数々の栄誉を手にしてなお巨匠になってしまわない、作り手として更新を続ける、のは本当に立派。


この映画の主題は、「自然」というものが人間に対してとる善でも悪でもない関係。地震や津波ですら、自然は人間に悪をなそうとして起こすわけではない。逆に人間が自然の恵みととらえるすべてのものも、人間が自らの都合で自然を利用しているだけだ。自然と人間は、仲良く近づくことも敵でありつづけることもできない。そういう関係を結ぶものとして、二つはただ併存している。


この映画の、とりわけエンディングは、そこにつながるものとして作られている。

NY映画祭のため滞在中のマンハッタンでようやく見た、映画『オッペンハイマー』。


監督のクリストファー・ノーランは「個人の主体性と歴史の運命の相克」というまことにクラシカルな問題系に取りつかれた人で、第1作から『インターステラー』『テネット』にいたるまで、ほぼ全作品がこの関心に沿っています。それを語りうる実在の人物を現代に探すなら、個人としても歴史上も数奇な役割をになったオッペンハイマー以上の人は、確かにそうはいません。



撮影技法上のノーラン印は、異なる時間・場所にある複数の映像を交錯させながらナラティブを駆動する「クロスカッティング」と呼ばれる映画的手法を偏愛すること。


クロスカッティングは素材全体の色調・画角・照明・俳優の動きをきちんとコントロールできないと話がとめどなく混乱するのですが、それを『オッペンハイマー』はきわめて精密にあやつっていて、しかも語りの疾走感が失われない。Perfectly calibrated な映画になっている。そういう作り手は、いま他にあまり見当たらないのではないかと思います。


とりわけ映画冒頭の「水たまりに落ちる雨滴と無数の波紋+それを見つめるオッペンハイマー」というなにげない2つのショットが、つぎつぎに複雑なイメージ群を呼びこんでゆく編集は感嘆しました。「水の波紋」が、個人の意志が歴史の重大な転換へ広がってゆくさま、核分裂で粒子が虚空を飛びまわり出すさま、を指し示しているのですね。


それを音響効果による時空の移行というノーラン独自の手法がささえていて、まさに現代映画技術の最前線。3時間この調子で走り抜けたのは、凄いです。


もっとも、物語そのものとしてオッペンハイマーという人の奇怪な複雑さ・深さに迫りきったかというと意外にそうでもなく、もう1時間カットしたら傑作になりえたかも、が正直な感想です。特に「原爆投下をめぐる葛藤の描写のありきたりさ」は、いまだに日本公開が見送られている理由かもしれません。


しかし、世のすべての新しい動きは一人の感情・着想からしか始まらないが、それがいったん歴史の回転につながると誰にも止められなくなる…という個人/歴史の関係の物語は、いまの目の前の世界の姿とも言えて、そう思う人が多かったからアメリカで意外な大ヒットに結びついたのか、とも思います。


俳優陣はグローヴズ中将を演じたマット・デイモンから、ロバート・ダウニーJr、エミリー・ブラントまで全員が素晴らしく、このうち誰かは今年度のアカデミー演技賞を取るような気がします。

All the Beauty and the Bloodshed (2022)


写真家ナン・ゴールディンは「ニューヨーク」という場所の華やかさと汚濁を一身に体現する伝説的アーティストで、DVやレイプ・性産業での経験にいたる自分の壮絶な生き方を目をそらさず見つめる美しい写真作品で知られてきた。



その彼女が、巨大薬メーカーの薬害事件にまきこまれる。その薬を作ったアメリカの大富豪サックラー家は、世界中の美術館・博物館への莫大な寄付を通じて美術界でも圧倒的な存在感をもっていた。ゴールディンは、寄付を受け続ける美術館とこの一家を相手に、裁きを受けさせるたたかいを始める…。


1970年代からニューヨークのアンダーグラウンド文化の代表的存在として知られてきたナン・ゴールディンと、メトロポリタンやグッゲンハイムといった名だたる巨大美術館との全面対決。その記録としてもスリリングだし、そこにからむゴールディンの生涯は、息をのむほど壮絶。そして彼女たちの抗議は始め嘲笑されていたが、ついにメトロポリタンほか美術館側は非をみとめてサックラー家の名前を館内から撤去、裁判の場でサックラー家の代表と対面することになる。


「ニューヨーク」という街を舞台にしたドキュメンタリー映画の傑作で、「すべての美しい者、そして血を流し続ける者たち」という題名のとおり、痛ましくて美しい物語です。2022年秋のニューヨーク映画祭では、満場のスタンディング・オベーションでした。

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