HAPPYEND
- Jay
- 2024年10月27日
- 読了時間: 2分
更新日:2024年11月2日
今の日本映画らしからぬすぐれたショットは数多くて、その感覚も技術も新人離れしているのは確か。夜の電車と併走する生徒たち、半透明の暖簾をはさんで向かい合う母親と少年、地震で鳴りひびく緊急音と息をひそめる定食屋の人々、などなど。これだけの国際共同製作を完成に導いた点でも希有な例。
一方で「脚本が甘い」という宿痾からも逃れられていない。外国人差別や監視社会化は現代日本にとってリアルな問題であって、それを近未来SFなどで都合よく改変することの意味に、もっと骨身に沁みて対決せねばならなかった。誰もが知っている課題をしっかり考え抜いて、作り手ならではの洞察に少しでも到達せねばならなかった。それがないから、中盤以降、どことなく文科省の啓発映画じみてくる。
少年ふたりの動機・葛藤も曖昧で、友情も政治も思わせぶりなまま。憲法改正や緊急事態法制がテーマとして出されたのに、高校生が校長と直談判して意見を通してラッキー!で何となく終わってしまう。
登場人物がなまなましい政治課題の中を動き回るこういう物語は、戦後すぐの日本映画では全然めずらしくなかった…というか、それが積極的に奨励されていた。日教組がテーマになる山本薩夫『人間の壁』(1959) 、もちろん京大滝川事件をあつかう黒澤明の『わが青春に悔なし』(1946)もそう。これらの映画と見比べると空監督の社会・政治への向き合いかたは、やはりいささか甘いというほかない。
それでも映像作家としての才は明らかで、いろんな歯車がうまく噛み合えば素晴らしい作り手が登場するだろうとも思う。濱口竜介監督が寄せた「未来への予感を抱かせる出発点」なるコメントは、そのあたりの正直な評価と社交を両立させた表現なのだ。
Japanese High Schoolers Fight Techno-Fascism in Neo Sora’s Smart and Bittersweet Coming-of-Age Drama (IndieWire, September 27, 2024)

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