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個人と歴史の物語 ─ 『オッペンハイマー』

NY映画祭のため滞在中のマンハッタンでようやく見た、映画『オッペンハイマー』。


監督のクリストファー・ノーランは「個人の主体性と歴史の運命の相克」というまことにクラシカルな問題系に取りつかれた人で、第1作から『インターステラー』『テネット』にいたるまで、ほぼ全作品がこの関心に沿っています。それを語りうる実在の人物を現代に探すなら、個人としても歴史上も数奇な役割をになったオッペンハイマー以上の人は、確かにそうはいません。



撮影技法上のノーラン印は、異なる時間・場所にある複数の映像を交錯させながらナラティブを駆動する「クロスカッティング」と呼ばれる映画的手法を偏愛すること。


クロスカッティングは素材全体の色調・画角・照明・俳優の動きをきちんとコントロールできないと話がとめどなく混乱するのですが、それを『オッペンハイマー』はきわめて精密にあやつっていて、しかも語りの疾走感が失われない。Perfectly calibrated な映画になっている。そういう作り手は、いま他にあまり見当たらないのではないかと思います。


とりわけ映画冒頭の「水たまりに落ちる雨滴と無数の波紋+それを見つめるオッペンハイマー」というなにげない2つのショットが、つぎつぎに複雑なイメージ群を呼びこんでゆく編集は感嘆しました。「水の波紋」が、個人の意志が歴史の重大な転換へ広がってゆくさま、核分裂で粒子が虚空を飛びまわり出すさま、を指し示しているのですね。


それを音響効果による時空の移行というノーラン独自の手法がささえていて、まさに現代映画技術の最前線。3時間この調子で走り抜けたのは、凄いです。


もっとも、物語そのものとしてオッペンハイマーという人の奇怪な複雑さ・深さに迫りきったかというと意外にそうでもなく、もう1時間カットしたら傑作になりえたかも、が正直な感想です。特に「原爆投下をめぐる葛藤の描写のありきたりさ」は、いまだに日本公開が見送られている理由かもしれません。


しかし、世のすべての新しい動きは一人の感情・着想からしか始まらないが、それがいったん歴史の回転につながると誰にも止められなくなる…という個人/歴史の関係の物語は、いまの目の前の世界の姿とも言えて、そう思う人が多かったからアメリカで意外な大ヒットに結びついたのか、とも思います。


俳優陣はグローヴズ中将を演じたマット・デイモンから、ロバート・ダウニーJr、エミリー・ブラントまで全員が素晴らしく、このうち誰かは今年度のアカデミー演技賞を取るような気がします。

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