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Petite Maman (2021) Céline Sciamma.


2年前に『燃ゆる女の肖像』でとつぜん世界の重要作家となったセリーヌ・シアマの新作。


8歳の少女ネリは祖母を亡くしたばかりで、両親とともに祖母の家へ遺品を片付けに訪れている。祖母には、きちんと「さようなら」を言えずに終わってしまった。そして両親たちには別居の気配があることを感じ始めている。ネリは、この祖母の家をとりまく深い森で、母親が子供のころに隠れ小屋をつくって遊んだときき、自分も隠れ場所がほしいと思うようになる。


場所をさがそうと森を歩いているとき出会ったのが、同い年の少女マリオンだった。マリオンはすぐ近くの家に住んでいるが、重い病のため、まもなく都会へ戻らねばならない。ネリとマリオンはすぐに仲良くなり、やがて「ごっこ遊び」を始める。ネリは子供、マリオンはその母親。周囲にいる優しい大人たちの老いと死・別離の重さが、しだいに二人の無邪気な会話に干渉し始め、物語は未来と過去・子供と大人の間を行き来しながら、ふしぎによじれてゆく。



〈現代フランスの最も完成された映画監督〉の評判に恥じない見事な画面構成で、この作品は、今回の映画祭におけるハイライトの一つ。とりわけ素晴らしいのはシンボリックな照明の使い方だった。たとえば母親とネリが夜のベッドに横たわって、部屋の隅に外から漏れ入ってくるかすかな光をみつめているシーン。光の網目がつくる影は、少女の想像力の中で次第に重要な意味をはらんでくる。またたとえば、鏡に向かってネリがネクタイを締めようと悪戦苦闘するがかなわず、ふっと横顔をカメラに向けるシーン。8歳のはずの少女の顔は淡い照明で縁取られて一気に大人びた気配をまとい、観客を慌てさせる。


映画は全体で70分ばかりに過ぎないが、チェーホフのよくできた短編小説のような深い余韻を残す。セリーヌ・シアマはアメリカでも『燃ゆる女の肖像』で一気に注目されるようになった監督だが、それ以前は、『少女 (Girlhood)』や『睡蓮(Water Lilies)』のような子供の映画ばかり撮っていた。短編を作った経験がなく、いきなり長編デビューした点でも注目された。


フランスで若い監督が映画を撮るには、なにしろルノワールやトリュフォーと仕事をしたこともあるうるさがたの技術スタッフを統率して監督の意図を反映させねばならない(そうでないと、美しいことは美しいがどこかで見たような画面が量産されてしまう)。シアマは『トムボーイ』あたりから、技術コントロールの術を完全に習得したらしい。その成果が『燃ゆる女の肖像』の精密無比なトラッキングショットや、海辺の静かな屋敷を満たす光だった。


今回の『プティット・ママン』は、このときの技術的到達が存分に活かされている。

セリーヌ・シアマは第1作からクィア・シネマの新しい担い手として注目され、映画研究の分野でも現代フランス社会における少女性の動揺に焦点をあてる論考が多かった。『燃ゆる女の肖像』は、コロナ禍による研究の中断もあって、まだその衝撃が十分受けとめられていないようにも見える。本格的な分析は、いま世界のあちこちで進められているのだと思う。


Belot, Sophie. "Céline sciamma’s La Naissance des pieuvres (2007): seduction and be-coming," Studies in French Cinema, 12:2, 2012.


Edney, Gemma. "Electronica, gender and French cinematic girlhood in Céline Sciamma’s films," French Screen Studies, 2020, VOL. 20, NOS. 3–4.


Garcia, Maria. "Deconstructing the Filmmaker’s Gaze: An Interview with Céline Sciamma," Cinéaste, 45:1, 2019.


Handyside, Fiona. "Emotion, Girlhood, and Music in Naissance des pieuvres (Céline Sciamma, 2007) and Un amour de jeunesse (Mia Hansen-Løve, 2011)," Fiona Handyside and Kate Taylor-Jones eds., International Cinema and the Girl: Local Issues, Transnational Contexts (Palgrave McMillan, 2016)


McNeill, Isabelle. "‘Shine Bright Like a Diamond’: music, performance and digitextuality in Céline Sciamma’s Bande de filles (2014)," French Screen Studies, 2018, VOL. 18, NO. 4, 326–340.


Pember, Alice. "‘Visions of ecstasy’: resilience and melancholy in the musical moments of Bande de filles (Céline Sciamma, 2014)," French Screen Studies, 2020, VOL. 20, NOS. 3–4.


Saunders, Keeley. "Gender-defined spaces, places and tropes: Contemporary transgender representation in Tomboy and Romeos," Journal of European Popular Culture, 5:2, 2014.


Smith, Frances. "Céline Sciamma’s coming- of-age texts," Bande de Filles : Girlhood Identities in Contemporary France (Routledge, 2020)


Silverstein, Melissa. "Céline Sciamma" In Her Voice : Women Directors Talk Directing (Open Road Integrated Media, Inc., 2015)


Waldron, Darren. "Embodying Gender Nonconformity in ‘Girls’: Céline Sciamma’s Tomboy," L'Esprit Créateur, 53:1, 2013.


Wood, Jason. "Céline Sciamma," Last Words Considering Contemporary Cinema (Columbia University Press, 2014)


『燃ゆる女の肖像』が登場したとき英語圏の映画批評が受けた衝撃は、以下の記事がよく伝えている。


Esposito, Veronica. "Portrait of a Lady on Fire: A “Manifesto about the Female Gaze”," World Literature Today, 95:3, 2021.


Kaminsky, Lauren. "Burning Gaze," Film Comment, Nov.-Dec., 2019.


" ‘Portrait of a Lady on Fire’ Review: A Brush With Passion" (The New York Times, Dec. 5, 2019)







Memories of Muder (2003) dir. Bong Joon-ho


2019年、米国では韓国映画に注目が集まりました。ポン・ジュノ監督の『パラサイト』がカンヌ映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞したことがきっかけです。


『パラサイト』は米国では夏頃に映画館で上映が始まり、秋のニューヨーク映画祭での絶賛をへて、ニューヨークでは12月に入っても映画館で上映が続いています。外国語映画、しかもアジアが舞台でアジア人しか出てこない作品が、米国の商業館でこれほど長く上映され続けるのはかなり異例のことです。


『パラサイト』を見て誰もが喫驚するのは、その技術的な完成度の高さ。なにげない路地裏やリビングルーム、階段や庭が巧みな照明を仕掛けられて、複雑なシンボリスムを帯びて物語の中で存在感を放ちます。ほんの少しのトラッキング・ショットもきわめて正確無比で、映像の重心を次々に移動させながら作品全編にリズムを作り出す編集は、たいへん鮮やかです。『パラサイト』は、ここ数年のパルム・ドール受賞作の中では、突出して撮影技術がすぐれています。


そういうわけで、『パラサイト』は2020年のアカデミー外国語映画賞の最有力候補になっているのですが、『パラサイト』へのコメントは次回にゆずって、今回は、この映画をきっかけに見ることのできた幾つかの韓国映画に触れてみたいと思います。


PARASITE - OFFICIAL TRAILER

11月末、ニューヨークのフィルム・ソサエティでは『パラサイト』の衝撃と絶賛がきっかけになって、現代韓国映画の特集上映が企画されました。"Relentless Invention: New Korean Cinema, 1996–2003" と題されたこのシリーズでは、21本の作品が上映されています。Memories of Murder は韓国で2003年に公開された映画で、撮ったのは『パラサイト』と同じポン・ジュノ監督です。日本では『殺人の追憶』の邦題で公開されています。


1980年代の韓国の地方都市で、猟奇的な強姦殺人事件が相次ぎます。地元警察で捜査を担当するのは、自分の足腰と直観だけを信じる風な旧いタイプの中年刑事。そこへ合理的でハンサムな若い刑事がソウル市警から派遣されてきて、二人が反目しあいながら捜査に取りかかると、一見無関係な連続殺人に不思議な共通項が見つかってくる — と、これはまるっきり、ハリウッド映画の刑事物によくあるバディ・フィルムそのままですね。


ポン・ジュノの面白いところは、誰もが見飽きたような通俗的な要素をあえて組み合わせて、そこから新しい物語を構築しようとするところです。事件の重要な鍵を握る知恵遅れの青年、ラジオから流れる音楽に隠されたメッセージ、雨の日の惨劇…と、どこかできいたような設定が、この映画にはこれでもかと盛り込まれていますが、巧みな照明・正確なカメラ操作・周到なサウンドデザインによって、それらが一気に清新なショットへとひっくり返ります(この手法は、のちに『パラサイト』でさらに凝縮して展開されることになります)。


この作品は1980年代に韓国で実際に起きた未解決の連続殺人事件をもとにしているそうですが(だから映画でも事件は解決しません)、『殺人の追憶』を凡百の実話映画から区別しているのは、撮影技術の確かさと、それが可能にしている複雑なシンボリスムです。


オープニング・ショットは、稲穂にとまるバッタを凝視する田舎の少年の表情から始まります。少年が、ふっと指でバッタを押さえると同時に立ち上がると、あたり一面には稲穂の繁る水田が広がっています。バッタを集めようと泥水のなかを裸足で駆け回る子供たち。そこにやってきた地元刑事が、水田の側溝で、最初の被害者を遺体で発見します。物語が、きれいごとではない東アジアの現実と密接に関係しあいながら進行することをあざやかに示唆するオープニングで、この稲田は映画全編で繰り返し重要な役割を果たします。


他にも、この映画では「韓国の後進性」を強調するかのような場面があえて選び取られています。薄汚れた狭い部屋で抱き合う中年男女の不器用なセックスも、警察署の不衛生な地下室で公然と行われる拷問も、カラオケ店で泥酔する刑事の醜態も、北朝鮮の侵攻をみすえた防空訓練も、まったく美化することなく描かれます。現代の自文化に対するある種の偽悪趣味的な視線は、どこか日本の伊丹十三監督を思わせるところがありますが、伊丹十三にはポン・ジュノほど優れたショットを並べることはできなかったと思います。『殺人の追憶』では、水田のほかに雨が激しく降りしきる場面が繰り返し登場しますが、これも雨のシーンの撮影例として秀逸です。


MEMORIES OF MURDER - TRAILER

ところで、フィルム・ソサエティの韓国映画特集で私が見た中では、ホン・サンスの『豚が井戸に落ちた日』(1996)や、Park Jong-won: Rainbow Trout (2002) がとくに優れていました。一方で、Kang Je-gyu: The Gingko Bed (1996)、Lee Jeong-hyang: Art Museum by the Zoo (1998) は、どちらもかなりの失敗作です。


前者は古代朝鮮の将軍と王妃が現代によみがえり、かつての悲恋をめぐって闘争を繰り広げるという伝奇SFなのですが、上映館で思わず失笑を洩らす観客がいたほど設定に無理があり、映像技法も大体において稚拙。後者は完全に1980年代の日本のTVドラマで、可憐なヒロインの魅力だけでなんとか持ちこたえている風な作品です。主役の若い男女が相互に恋心をいだく要素が物語のどこにあるのかさっぱり分からない、というのはラブコメディとしてはかなり致命的じゃないでしょうか。


しかし面白いのは、この二つの失敗作のいずれも、シーンごとに見れば話が分からないわけではない、ということです。つまり個々のシーンのレベルでは、誰が何をしているのか、登場人物がどういう関係にあるのかが飲み込めないようなことはない。


駄作と秀作の混在ぶりは、韓国映画では、カメラ操作やショット構成の基本技術は1990年代半ばにすでに一定水準まで到達して、様々に試行錯誤と失敗を繰り返していたことをうかがわせます。ホン・サンスが上の秀作を経て映画製作を継続的に開始し、ポン・ジュノが最初の作品をつくるのは2000年以降。ここから韓国映画のあたらしい黄金期が始まります。


韓国映画は、軍事クーデターが起きる1961年頃を境に Korean Cinema Renaissance とも呼ばれる第一の隆盛期を経験し(この頃の傑作のひとつがキム・ギヨン『下女』 1960)、軍事独裁を経て経済成長が鮮明になってきた 1988-1995 頃に再度の隆盛期を迎えた(こちらは The New Korean Cinema Movement と呼ばれる)。この頃には佳作・駄作いりまじった大小無数の映画やTVドラマが作られ、それが2000年以降の傑作群の誕生を準備したらしい。キム・ギドクとホン・サンスは1960年生まれ、ポン・ジュノは1969年生まれ。


英語圏での韓国映画のスカラシップはやはり2000年代以降に本格化し、すでに相当の蓄積がある。映画は韓国の地域研究の重要な分野でもあるとのこと。分野としての成熟はこれからの課題。全体の通史としては Kim Mee­hyun の韓国語版からの翻訳が、New Korean Cinema についてはこれと同時期に出た論集 The New Korean Cinema が概観に便利。


  • Kim Mee­hyun, ed. Korean Cinema: From Origins to Renaissance. Seoul, South Korea: Communication Books, 2006.

  • Lee, Hyangjin. Contemporary Korean Cinema: Identity, Culture and Politics. Manchester, UK: Manchester University Press, 2000.

  • Min Eungjun, Joo Jinsook, and Kwak Han Ju. Korean Film: History, Resistance, and Democratic Imagination. Westport, CT: Praeger, 2003.

NEW KOREAN CINEMA

  • Choi, Jinhee. The South Korean Film Renaissance: Local Hitmakers, Global Provocateurs. Middletown, CT: Wesleyan University Press, 2010.

  • Howard, Chris. “Contemporary South Korean Cinema: ‘National Conjunction’ and ‘Diversity.’” East Asian Cinemas: Exploring Transnational Connections on Film. ed. by Leon Hunt and Leung Wing­Fai, London and New York: I. B. Tauris, 2008.

  • Kim, Kyung Hyun. The Remasculinization of Korean Cinema. Durham, NC: Duke University Press, 2004.

  • Kim, Kyung Hyun. Virtual Hallyu: Korean Cinema of the Global Era. Durham, NC: Duke University Press, 2011.

  • Paquet, Darcy. New Korean Cinema: Breaking the Waves. London: Wallflower, 2009.

  • Shin, Chi­Yun, and Julian Stringer, eds. The New Korean Cinema. Edinburgh: Edinburgh University Press, 2005.

  • 2019年12月27日

The Wind that Shakes the Barley (2006) dir. Ken Loach


アイルランドを舞台に、独立戦争とその後の内戦を生きる兄弟二人の話で、近現代アイルランドを描いた作品としては『マイケル・コリンズ』などと並んでとくに有名な映画の一つ。


1920年、ダミアンとテッドのドノヴァン兄弟はアイルランド南部の田舎町に暮らしている。当時アイルランドの人々は英軍から厳しい弾圧を受け、粗暴な英軍兵士の暴力がつねに暮らしを脅かしていた。


すでに兄テッドはアイルランド独立を求めるIRA(アイルランド共和軍)に身を投じて頭角を現し始めていたが、優秀な弟ダミアンは医師となり、ロンドンの病院で勤務するため町を出ることになっていた。しかし駅で英軍兵士による理不尽な暴行を目の当たりにして深く憤り、ついに兄のもとでゲリラ戦へ身を投じることを決意する。


アイルランド独立の理想に燃える二人の兄弟は暗殺もためらわない過激な反英テロ活動を展開して英軍を翻弄するが、イギリス政府代表団との間でアイルランドに自治を認める英愛条約が調印されると、闘争路線をめぐって兄弟の間で鋭い対立が生じ始める。

監督のケン・ローチは1960年代からキャリアを開始していたが、名作『ケス』(1969) のようなわずかな例外をのぞいて、TVドラマを中心に活躍していた。『麦の穂』は今にいたるまでケン・ローチの最も興行的に成功した映画作品だと思う。


技術的には、『ブラック・ジャック』(1979)などの時代劇でみせた、外光をうまく活用した照明をさらに洗練させているのが目をひく。全編をつうじてほとんど一つの晴天・青空もなく、室内では窓から入ってくる弱い光を主に使って撮影し、それが「アイルランド」という土地の抱える貧しさ・苦境を印象づけるよう意図的に設計されている。


この作品はよく「戦争映画」にカウントされるが、戦闘シーンがどこかひややかなのは、それがおおむねワイドサイズで撮影されていることが大きい。この映画では、兵士や市民がまさに一面に生い茂る麦の穂の中で無意味に死んでゆく。人の生死が冷淡につきはなされて、歴史の流れの一部として捉えられている。


ケン・ローチは活動歴が長いので、作品レビューの類は膨大。2000年代以降、まとまった研究がいくつか刊行されるようになった。


  • Fuller, Graham ed. Loach on Loach, London : Faber and Faber, 1998.(グレアム・フラー編『ケン・ローチ : 映画作家が自身を語る』村山匡一郎・越後谷文博訳、フィルムアート社、2000)

  • Hayward, Anthony. Which side are you on? : Ken Loach and his films, London : Bloomsbury, 2004.

  • Hill, John. Ken Loach: the Politics of Film and Television, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2011.

  • Leigh, Jacob. The cinema of Ken Loach : art in the service of the people, New York : Wallflower Press, 2002.

  • McKnight, George ed. Agent of challenge and defiance : the films of Ken Loach, Westport, Conn : Greenwood Press, 1997.

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