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「母親と娘」を主題にしたドキュメンタリーは、たまらなく愛おしい部分と、どうしようもなく許し合えない厳しい部分とが混在することがよくあります。これはその代表のような作品です。


シャンタル・アケルマン『ノー・ホーム・ムーヴィー』(2016)


アケルマンは自分でソニーの簡易カメラを握り、老いた母親の日常をとらえます。手ぶれピンボケ上等、母親の顔すら上映開始から30分以上経つまでまともに映りません。しかしスカイプ越しの画面で「愛しているよ、あなたのことを」と笑顔でつぶやく老いた母親の映像に、最大限のズームをかけて撮影するシーンなんて、ほんとうに心を動かされます。娘は、死へ向かっている母親の、手の届かない素顔に、それでも手を伸ばそうとしています。



この二人の関係は、しかし母親の老いが深くなってくると、しだいに崩れ始めます。母親のフランス語は曖昧で不明瞭になり、近親者以外にはほとんど聞き取れなくなります。あれほど娘を褒めて愛情の言葉だけを送っていた母親が、小さな不平を口にしつづけるようになります。


それと呼応するように、アケルマンの撮影する画面は、だんだんと輪郭が失われて、逆光で真っ白にとんだ道路、すっかり光を失って暗闇になったトンネルの中、といったショットが重ねられてゆきます。


アケルマンの母親はユダヤ人で、アウシュヴィッツからの生還者という壮絶な過去を持っているのですが、それに触れるアケルマンの言葉は、家政婦を相手に、覚え立ての片言のスペイン語で語られます。つまりこの映画がもともと想定しているフランス語を理解する観客には、ほとんど断片的にしか理解できない。


ですから冒頭からこの映画をていねいに見てゆくと、言葉がどんどん破片になり、愛情の手渡しが拒否されてゆき、世界は酷薄さを増してゆくのです。


日本で見るときにはこの点について注意が必要で、日本語字幕はすばらしい翻訳なのですが、すべてが翻訳されてしまうために、こうした次第に大きくなる齟齬と摩擦の感覚が、字幕だけを追っているとよく分からない。


母がこの世を去ったことは作品では明示されず、ただ空っぽの室内がまっすぐ映し出されるだけです。そしてこの作品の完成からまもなく、アケルマンも自ら命を絶つことになります。


「母親と私」をテーマにした作品としてはジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』とならぶ傑作で、映像が力をもつとはどういうことか、何が映像に意味を与えるのか、見終わったとに深く考えこんでしまう映画だと思います。


All the Beauty and the Bloodshed (2022)


写真家ナン・ゴールディンは「ニューヨーク」という場所の華やかさと汚濁を一身に体現する伝説的アーティストで、DVやレイプ・性産業での経験にいたる自分の壮絶な生き方を目をそらさず見つめる美しい写真作品で知られてきた。



その彼女が、巨大薬メーカーの薬害事件にまきこまれる。その薬を作ったアメリカの大富豪サックラー家は、世界中の美術館・博物館への莫大な寄付を通じて美術界でも圧倒的な存在感をもっていた。ゴールディンは、寄付を受け続ける美術館とこの一家を相手に、裁きを受けさせるたたかいを始める…。


1970年代からニューヨークのアンダーグラウンド文化の代表的存在として知られてきたナン・ゴールディンと、メトロポリタンやグッゲンハイムといった名だたる巨大美術館との全面対決。その記録としてもスリリングだし、そこにからむゴールディンの生涯は、息をのむほど壮絶。そして彼女たちの抗議は始め嘲笑されていたが、ついにメトロポリタンほか美術館側は非をみとめてサックラー家の名前を館内から撤去、裁判の場でサックラー家の代表と対面することになる。


「ニューヨーク」という街を舞台にしたドキュメンタリー映画の傑作で、「すべての美しい者、そして血を流し続ける者たち」という題名のとおり、痛ましくて美しい物語です。2022年秋のニューヨーク映画祭では、満場のスタンディング・オベーションでした。

Petite Maman (2021) Céline Sciamma.


2年前に『燃ゆる女の肖像』でとつぜん世界の重要作家となったセリーヌ・シアマの新作。


8歳の少女ネリは祖母を亡くしたばかりで、両親とともに祖母の家へ遺品を片付けに訪れている。祖母には、きちんと「さようなら」を言えずに終わってしまった。そして両親たちには別居の気配があることを感じ始めている。ネリは、この祖母の家をとりまく深い森で、母親が子供のころに隠れ小屋をつくって遊んだときき、自分も隠れ場所がほしいと思うようになる。


場所をさがそうと森を歩いているとき出会ったのが、同い年の少女マリオンだった。マリオンはすぐ近くの家に住んでいるが、重い病のため、まもなく都会へ戻らねばならない。ネリとマリオンはすぐに仲良くなり、やがて「ごっこ遊び」を始める。ネリは子供、マリオンはその母親。周囲にいる優しい大人たちの老いと死・別離の重さが、しだいに二人の無邪気な会話に干渉し始め、物語は未来と過去・子供と大人の間を行き来しながら、ふしぎによじれてゆく。



〈現代フランスの最も完成された映画監督〉の評判に恥じない見事な画面構成で、この作品は、今回の映画祭におけるハイライトの一つ。とりわけ素晴らしいのはシンボリックな照明の使い方だった。たとえば母親とネリが夜のベッドに横たわって、部屋の隅に外から漏れ入ってくるかすかな光をみつめているシーン。光の網目がつくる影は、少女の想像力の中で次第に重要な意味をはらんでくる。またたとえば、鏡に向かってネリがネクタイを締めようと悪戦苦闘するがかなわず、ふっと横顔をカメラに向けるシーン。8歳のはずの少女の顔は淡い照明で縁取られて一気に大人びた気配をまとい、観客を慌てさせる。


映画は全体で70分ばかりに過ぎないが、チェーホフのよくできた短編小説のような深い余韻を残す。セリーヌ・シアマはアメリカでも『燃ゆる女の肖像』で一気に注目されるようになった監督だが、それ以前は、『少女 (Girlhood)』や『睡蓮(Water Lilies)』のような子供の映画ばかり撮っていた。短編を作った経験がなく、いきなり長編デビューした点でも注目された。


フランスで若い監督が映画を撮るには、なにしろルノワールやトリュフォーと仕事をしたこともあるうるさがたの技術スタッフを統率して監督の意図を反映させねばならない(そうでないと、美しいことは美しいがどこかで見たような画面が量産されてしまう)。シアマは『トムボーイ』あたりから、技術コントロールの術を完全に習得したらしい。その成果が『燃ゆる女の肖像』の精密無比なトラッキングショットや、海辺の静かな屋敷を満たす光だった。


今回の『プティット・ママン』は、このときの技術的到達が存分に活かされている。

セリーヌ・シアマは第1作からクィア・シネマの新しい担い手として注目され、映画研究の分野でも現代フランス社会における少女性の動揺に焦点をあてる論考が多かった。『燃ゆる女の肖像』は、コロナ禍による研究の中断もあって、まだその衝撃が十分受けとめられていないようにも見える。本格的な分析は、いま世界のあちこちで進められているのだと思う。


Belot, Sophie. "Céline sciamma’s La Naissance des pieuvres (2007): seduction and be-coming," Studies in French Cinema, 12:2, 2012.


Edney, Gemma. "Electronica, gender and French cinematic girlhood in Céline Sciamma’s films," French Screen Studies, 2020, VOL. 20, NOS. 3–4.


Garcia, Maria. "Deconstructing the Filmmaker’s Gaze: An Interview with Céline Sciamma," Cinéaste, 45:1, 2019.


Handyside, Fiona. "Emotion, Girlhood, and Music in Naissance des pieuvres (Céline Sciamma, 2007) and Un amour de jeunesse (Mia Hansen-Løve, 2011)," Fiona Handyside and Kate Taylor-Jones eds., International Cinema and the Girl: Local Issues, Transnational Contexts (Palgrave McMillan, 2016)


McNeill, Isabelle. "‘Shine Bright Like a Diamond’: music, performance and digitextuality in Céline Sciamma’s Bande de filles (2014)," French Screen Studies, 2018, VOL. 18, NO. 4, 326–340.


Pember, Alice. "‘Visions of ecstasy’: resilience and melancholy in the musical moments of Bande de filles (Céline Sciamma, 2014)," French Screen Studies, 2020, VOL. 20, NOS. 3–4.


Saunders, Keeley. "Gender-defined spaces, places and tropes: Contemporary transgender representation in Tomboy and Romeos," Journal of European Popular Culture, 5:2, 2014.


Smith, Frances. "Céline Sciamma’s coming- of-age texts," Bande de Filles : Girlhood Identities in Contemporary France (Routledge, 2020)


Silverstein, Melissa. "Céline Sciamma" In Her Voice : Women Directors Talk Directing (Open Road Integrated Media, Inc., 2015)


Waldron, Darren. "Embodying Gender Nonconformity in ‘Girls’: Céline Sciamma’s Tomboy," L'Esprit Créateur, 53:1, 2013.


Wood, Jason. "Céline Sciamma," Last Words Considering Contemporary Cinema (Columbia University Press, 2014)


『燃ゆる女の肖像』が登場したとき英語圏の映画批評が受けた衝撃は、以下の記事がよく伝えている。


Esposito, Veronica. "Portrait of a Lady on Fire: A “Manifesto about the Female Gaze”," World Literature Today, 95:3, 2021.


Kaminsky, Lauren. "Burning Gaze," Film Comment, Nov.-Dec., 2019.


" ‘Portrait of a Lady on Fire’ Review: A Brush With Passion" (The New York Times, Dec. 5, 2019)







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